お二人はそもそも、どんなご縁なんですか? 神里雄大(以下、神里) 一番最初は、僕の大学の同級生と横田さんが一緒に公演を観に来てくれて。 横田創(以下、横田) 2007年だね。「異邦人」っていう高田馬場のバーで、そのバーのママ役を一人の女優さんが演じるという作品でした。 神里 そこで一緒に飲んで、横田さんの家にも遊びに行って、一緒に映画を見て。 横田 明け方まで話してもう寝ようっていう時に、映画を見ようと言い出したんですよ(笑)。その時見たのが、僕がすっごく好きな塩田明彦監督の「月光の囁き」で、こっちが好きな作品だって言ってるのに、ずたずたに言うんです。でもそれが面白くて。それから、どちらかが勧めた映画を見ながらああだこうだ言う、っていうことを結構やったね? 神里 それで「話が合う人だな」みたいなことを感じました。横田さんは、僕がなんとなくしゃべったことのポイントをまとめてくれる人。舞台を観に来ても、別にかばってくれるってことじゃないけど、基本的にあまり文句を言わない人っていうか、僕の安全地帯という感覚の人で。作品が途中で行き詰まった時によく相談に行って、といっても台本を渡しても読んではくれないので、読んでるのを聞いてもらって、何か言ってもらう、みたいな。ある時から勝手に、僕の担当編集者みたいなポジションにしてしまっています。 横田 その後、『グローバリゼーションに関する短編戯曲』(08年/作=ドミニク・オーランド)を観た時に「あっ」と思うことがあって。もっと言えば、そのアフタートークがすさまじくて、作者であるアメリカ人の作家も登壇してたんですけど、自分の戯曲をずたずたにされたって、要するに不機嫌で(笑)、全身にそれが出てた。パネラーの中には神里君もいたんだけど、アフタートーク中にその作家の前を横切って、急にトイレに行ったんですよ! 「わ、コイツすげーな」と(笑)。 その次だったかな、『三月の5日間』(08年/作=岡田利規)の宣伝用にコメントを求められて、それを昨日読み返したんですけど、今の私の印象と基本的に変わってなかったですね。「神里雄大は意地悪である」「普段はへらへら笑って、おもねりまくったふりをしているけど、……中略……彼の性向は必然的に権威あるものたち(たとえば、シェークスピア、鈴木忠志、……中略……)へと向かう。けど、殺しはしない、生殺しにする。」と書いたんですけど。 逆に、神里さんは横田さんの小説についてはどんな印象を? 神里 本当にごめんなさいなんですけど、一作しか読んでなくて……。 横田 むしろ一冊あって良かったよ(笑)! 一番よく会ってた時期に書いた、「埋葬」を読んでくれたんだよね。 神里 はい。読んだ時、ドッペルゲンガーみたいな気持ち悪さがあったんですよね。なんでこんなに二人が話したことが書かれているんだって(笑)。おこがましいんですけど、横田さんの作品というより、僕と横田さんの中間にぽんと落ちてるような作品って感じがして。ガラにもなく人に勧めたんです、「これ読め」みたいな。まさに自分の作品かのように……。 横田 これ、ポイントは「自分の作品のように勧めた」ってところ(笑)。自分の作品じゃなきゃ勧めないってことだから! 神里 まあ……そうですね。多分人に勧める時は、「これを見ると僕のことが少し分かるよ」みたいな意味で勧めるので(笑)。 横田 サイテーだよな! その「埋葬」という作品は――これをちゃんと言葉で言うのは初めてですが――実は光市母子殺害事件がもとになっていて、あれから10年、僕なりに考えたことをまとめた本なんです。被害者の旦那さんが直面した問題は、自分の妻と子どもが殺されてしまったことにどういう責任をとるか、ということだと思うんですね。もちろん犯人がいるわけで、自分の責任ではない、のだけど、二人の死に対して自分がどんな責任をとれるのかを考えてしまう。『アンティゴネ』も同じで、兄の死に対して自分がどう責任を取り、弔うかということが問題になっている。よく、アンティゴネを神と自分を同一視した女性って表現するけれど、別にアンティゴネが特別変わった人だったわけじゃなく、我々の言語というのはいつもそうやってworkするものだと思うんです。そして、実はそれが、僕もずっと持っているテーマなんですよ。 強度のある作品を今回、この2作品は横田さんからの提案だったとか。 神里 はい。ここ最近、いろいろがんじがらめになってたというか、演劇をやる上で出て来る、社会とか、震災後は特に舞台や演劇に何ができるのかとか、そういう雑音のようなキーワードに、どうも振り回されてる自分がいて。それと無関係ではいられないと思って、去年の『レッドと黒の膨張する半球体』をつくったんだけど、どうも自分の中ではその先が分からなくなってしまって。だから今回は、久々に人の書いたものを演出しようと思ったんですが、それも早々に行き詰まって、横田さんに連絡しました。 横田 結構遅い時間に電話がかかってきて「なんかないですかね」って言うんですね。で、「近所のバーにいるから来てくれないか」と言うから、そこに行くまでの間にぱっと『アンティゴネ』を思いついて。 神里 いま夜って言ってましたけど、僕が電話したのは昼でしたね。で、「考える」って言ってくれたので安心してたらだいぶ経って電話がかかって来て、飲もうみたいな感じになって。その時『アンティゴネ』を渡されました。その時にキリスト教とキリスト教以前、みたいな話になって、古代ギリシャの演劇はもっと文脈にとらわれず自由にやられてた、という話になって。 横田 そうだそうだ。でも「なんかもう1本ないっスか」と言われたから、そこでまたぱっと浮かんだのがつかさんの『寝盗られ宗介』。 神里 その時点でもう何をやるのか、タイミング的に決めなきゃいけなかったから、良さそうだったし、じゃあ二つやるか、と。だからこの2作品にかんしては、残念ながら僕自身の中では今やる意味とかは特に根拠がなくて。むしろそういうことを考えるのをやめるというか、どう別の距離の取り方をするかという感じで決めました。 横田 その時点では、僕もまさか二本いっぺんにやるとは思ってなかったから特に両方を関係付けて考えてなかったけど、その後、なぜ今この二作品が、神里雄大がやるものとして挙がって来たのかは、僕なりに考えました。 ――どんな結論に達したんですか? 横田 ギリシャ悲劇ってどんなものかというと、“とんでもない試練を与えられて――それを運命とか自然と呼んでみたりするわけですが――自分の力ではどうすることもできないものを前にした時、人間がどのような行動に出るかを説いた話”で、つまりパトスとかパッション、受苦、受難の話だと思うんです。それはそのまま、神里雄大の演劇そのものだと思うんですよ。俳優にとっても観客にとっても、もっと言えばテキストにとっても。それを私は、先のコメントで「神里雄大は意地悪である」と表現したわけですが、そんなもともと意地悪である神里雄大が、この意地悪なテキストをどうやるのか、ということに単純に興味がありました。『寝盗られ〜』もそうです。インタビューでつかはよく、「前向きのマゾヒズム」という言葉を使っているんですが、とても難しい言葉で、ポジティブなネガティブ、積極的な受け身というような意味でしょうか。それはそのまま、受難ばかりだけれど、積極的に前向きに突き進むアンティゴネに重なります。その点で、この2作品はすごく似ていると思うんです。 ただ、それらを演出する際に知識で戯曲を補強していく、みたいなやり方は基本的に演出ではないと私は思ってて。じゃあ何をもって演出と言うかと言えば、そういった補強をむしろどんどんやめていく。するとテキストそのものが見えて来るわけですね。その点で、神里雄大は稀に見る演出家であることは確かです。『昏睡』(09年/作=永山智行)の演出が顕著でしたが、ばっさり補強をやめたことで元の戯曲の面白さが際立ち、とても面白かった。逆に言うと、神里雄大はそれだけ強度のある戯曲じゃないとやっても意味がない。『寝盗られ〜』もただやれば面白いホンで、しかしただやるってことがいかに難しいか、と私は思うんですよね。 一方、先ほど神里さんは、“この2作品をやることに自分の中で特別な根拠はない”とおっしゃっていましたが、戯曲を読んでから考えに変化はありましたか? 神里 『オイディプス』と『コロノスのオイディプス』は読んだんです。だからなんとなく背景とかは掴めるんですけど、その上でこの二作品の関係性は……やっぱりないなって思ってます(笑)。でも『アンティゴネ』を観ていたらいつの間にか『寝盗られ〜』になってたというのがいいんじゃないかなと。 あとはですね、最近バカみたいに、「24」とか「LOST」とか、アメリカのTVドラマをずっと見続けていて、得たものがありまして。それは、日本語は演劇に向いていないっていう結論なんです。 横田 (笑)! 神里 例えばアメリカのTVドラマにはいろんな国の出身の人が出て来て、出身国によって言葉の使い方は違うんだけど、でもちゃんとしゃべってるんですよね。日本語はまだしゃべるための言葉遣いが確立されていないというか、まだ話し言葉じゃない、書き言葉なんじゃないかと思ったんですよ。もちろんこれから変わることはあると思うし、目的が話し言葉じゃなくて書き言葉であればもういいと思うんだけど……。 横田 うーん、その言い方が正しいかどうか分からないけど、でも英語ってネゴシエーションなんじゃないかと思う。英語はもともと込めたいニュアンスを全部省いてて、というのも人種的にも階級的にもそれぞれで、細かなニュアンスを省かないと伝わらない部分があるからなんだけど、日本語はあるコミュニティーの中で使われてきたものなわけで。ただ、かつて「日本」という国ができる前の15世紀くらいに、それぞれの国でそれぞれの言葉を話していたころ、全国の人が集まって話す時に、共通言語として謡曲の言葉を使ってしゃべったそうなんですね。その時代のことを夢想すると、それは相当、今の英語的だったんじゃないかなと。 神里 それと、日本語のほうが芳醇ですよね、表現が。海外ドラマの対訳を見てると、例えば「I’m sorry」を「ごめん」て訳してる時もあれば「残念」って時もあるし、もっと別のこともある。英語だと全部一言で済ましているのに対して伝え方がいろいろあるんですよね。 横田 その芳醇さを残すのと、全部削ぎ落すのでは、表現の考え方として、本当に態度が違ってくるよね。 神里 そうなんです。だから今、既存の訳を使うのでいいのか、訳し直したほうがいいのか、考えているところです。 横田 それは大変だなあ(笑)! ヒントは“佐川急便”にあり(?)今回は、特に演出面に力を入れるそうですね。 神里 まだ全然できてませんけど、でもいま考えているのは、『アンティゴネ』も『寝盗られ〜』も、大事なことは皆手紙で知らされるってことで。『アンティゴネ』では、最初に番人が王に、死体を埋葬したやつがいることを言っていいかどうか長々悩んでいるシーンがあって、そこだけ長くてものすごいフランクなんですけど(笑)、そもそもその番人が何も言わなければ、物語は起きなかったわけだし、『寝盗られ〜』も音響のユウジが筆子に手紙を書いているという体(小説版)。なので、「知らせ」が今回の重要なキーワードになるだろうなと思います。……というところで、先日の琵琶湖マラソンで一般参加の佐川急便の人が日本人一位になったそうなんで、それを聞いて、佐川急便がパッとひとつ、僕の中に……。 横田 佐川急便をメッセンジャーにしようっていうのか。バカだなあ(笑)。普通思いつかないし、思いついても捨てるよね(笑)。 神里 ハハハ。 横田 でも『オイディプス』も、“なんだか国が最近不況だからオイディプスが予言者にそのワケを聞いたら、どうやらお前の父親を殺したやつがいる”って言われて物語が始まる。メッセンジャーはひとつ大事なポイントだよね。 神里 まだどうなるか分かりませんけど(笑)。でも最近は書くほうで手一杯で、自分として納得した演出が出来ているとは言いがたいところもあったので、今回はもとの戯曲があるわけだし、どう料理するかじっくり考えたい。それにしても、なんで二つも選んじゃったのか、それがネックで……。 横田 だから言ったじゃん! 神里 コロスが出て来たりして、とても出演者4人じゃ足りないし。 まあ、「受苦」を受け入れていただいて……。 神里 はあ。 横田 いいね、“受苦を受け入れる”って。ジュクジュクだね! |